「8ミリ・マッドネス!! ~自主映画パンク時代~」 7月 西寧と北京で
自主映画の大物監督が処女作を公開。創作の原点に戻り、パンクの熱狂を再び巻き起こす
70~80年代、思想的な低迷に陥ったヨーロッパでは自由と反骨精神を象徴とするパンク文化が巻き起こり、分かりやすく魅力的な芸術表現の形として世界中の若者たちがそれに習った。70年代の日本では、映画産業の衰退に伴い、映画作品を量産していた「撮影所」方式が徐々に崩壊。それまで大手映画会社のお抱えだった職業監督らは一斉に解雇された。映画監督は経済的に何の保証もない自由業に成り果ててしまったのだ。こうした映画産業の構造変化の下、8ミリ映画は、手軽な記録ツールとして、若者たちの創作にかける熱意と時代の抑圧感を引き受け、自由奔放な作風の映画作品を生み出していった。映画はもはやお高く止まったファンタジーの産物ではなく、個人的な熱狂から湧き上がってきたものである。現代日本映画の名立たる監督たちも、多くはこの時期に映画制作を始めている。
あの当時のパンク精神は、正にフィルムの色彩と同じく色あせつつある。これらの貴重な映像をよりよく保存し、残していくため、そして、かつて8ミリ映画が引き受けた創作にかける熱意をデジタル時代に継承しいてくため、ぴあフィルムフェスティバルは香港国際映画祭及びベルリン国際映画祭と共同で「8ミリ・マッドネス!!~自主映画パンク時代~」を企画。園子温、矢口史靖、塚本晋也ら9名のヘビー級監督が1977年から1990年に撮影した8ミリ自主映画11作品に2Kデジタル化処理を施し、英語字幕を加え、本年ベルリンと香港の両国際映画祭にて上映を行った。
この度、国際交流基金北京日本文化センターは、FIRST青年映画祭及びユーレンス現代アートセンターと連携し、「8ミリ・マッドネス!!~自主映画パンク時代~」に中国語字幕を加え、西寧と北京で巡回上映いたします。中国の映画制作者、映画愛好家のみなさんとパンク時代の8ミリ自主映画の精神を共有したいと思います。この場をお借りして、ぴあフィルムフェスティバルのディレクター荒木啓子氏、香港国際映画祭の王慶鏘氏、そして今回の上映会の実現にご尽力いただいた全ての方々に、改めて御礼申し上げます。
共催: 国際交流基金北京日本文化センター、FIRST青年映画祭、ユーレンス現代アートセンター
中国語字幕提供:国際交流基金北京日本文化センター
特別協力:ぴあフィルムフェスティバル、香港国際映画祭
なお、ぴあフィルムフェスティバル・ディレクターの荒木啓子氏と矢口史靖監督を西寧にお招きし、7月26日の「8ミリ・マッドネス!!」アフタートークと、7月27日のFIRST青年映画祭授賞式にご出席いただく予定です。
上映スケジュールとチケット購入
西寧FIRST青年映画祭: 淘票票 チケット販売サイト
北京ユーレンス現代アートセンター:全6回セット購入 単品購入
8ミリ・マッドネス 監督及び作品紹介
石井岳龍
1957年、福岡県福岡市生まれ。1976年、日本大学藝術学部入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』が熱狂的な支持を得る。デビュー以来の鋭い表現手腕は、映画に留まらず、ミュージッククリップ、ビデオアート、写真、ライブ活動等、様々なメディアで発揮され続けている。尖端的な音楽と、風景や光の情景をミックスさせた映像表現手法は、「実験的」と評されながらも、特に同じ業界の人間や、アーティストからの評価が高いことでも有名。ちなみにクエンティン・タランティーノも石井聰亙を敬愛している。代表作に、『狂い咲きサンダーロード』(1980)、『爆裂都市 BURST CITY』(1982)、『逆噴射家族 』(1984)、『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001)、『生きてるものはいないのか』(2012)、『シャニダールの花』(2013)、『蜜のあわれ』(2016)など。
『1/88000の孤独』
1977年/43分
東京の片隅で孤独な毎日を送る、冴えない浪人生。勉強には集中できず、疎外感と劣等感と性欲にまみれた日々のなか、その鬱屈が、突如、なんの前触れもなく爆発する。救いのかけらもない衝撃の結末で観る者を凍らせる、陰惨かつ暴力的な問題作。14年ぶりのロック映画『ソレダケ/that’s it』(2015年)が大絶賛されたばかりの石井監督、原点の1作。
手塚真
1961年東京生まれ。 高校生の時に8mmで映画製作を始め、大島渚監督を初めとする映画人の高い評価を得る。大学在籍中から映画、テレビ、ビデオを初めとする様々なメディアで活躍。映画を中心としながら、小説やデジタル・ソフト、イベントやCDのプロデュースも手掛け、先進的な内容やスタイルが注目されている。1999年に劇映画『白痴』がベネチア映画祭ほかで上映され、国際的に評価される。
『UNK』
1979年/15分
空飛ぶ円盤にさらわれた少女が宇宙人の都市へと連れられていく。『未知との遭遇』へのオマージュとして、前年の第1作『FANTASTIC★PARTY』が大島渚監督から絶賛された手塚監督が高校2年生のときに手掛けた第2作。出演以外のすべてを手塚監督ひとりでこなし、実験的手法と特殊撮影がテンポよく融合、8mmの可能性にチャレンジした意欲作。(ノーダイアログです。)
『HIGH-SCHOOL-TERROR』
1979年/6分
放課後の教室に残る2人の女子高生。やがて夜になり、ひとりがホラー映画そこのけのいたずらを仕掛けると…。手塚監督が高校卒業目前に短期間で撮ったホラー映画の習作は、撮影技法や演出力においても優れ、すこぶる怖い8mm作品として全国で自主上映された。1990年代後半に映画やドラマで人気を集めた『学校の怪談』の先駆けとも言える作品。
山本政志
『闇のカーニバル』(1982)が、ベルリンとカンヌの映画祭で連続上映され、ジム・ジャームッシュらニューヨークのインディペンデント監督から絶大な支持を集める。その後、『ロビンソンの庭』(1987)がベルリン映画祭Zitty賞、ロカルノ映画祭審査員特別賞、日本映画監督協会新人賞を受賞。2012~2013年は、実践映画塾『シネマ☆インパクト』を主宰し、12人の監督とともに15本の作品を世に送り出し、その中から、メガヒット作大根仁監督『恋の渦』を誕生させた。その他の代表作に『聴かれた女』(2006)、『水の声を聞く』(2014)など。
『聖テロリズム』
1980年/127分
とあるマンションの住人たち。無差別殺人を繰り返す男。通り魔的殺人を繰り返す裕福な少女。天体マニアの管理人。貯水タンクに浮かぶ独り言の多い死体。右翼らしい集団。次から次に登場する異様な登場人物たちを同時進行で描く、過激にぶっとんだ衝撃作。山本監督の幻の傑作だ。
緒方明
1959年、佐賀県生まれ。福岡大学在学中に石井聰亙監督と出会い、石井作品の助監督を務めるようになる。1981年、監督作品の『東京白菜関K者』が第4回ぴあフィルムフェスティバルで入選を果たした。その後は高橋伴明、大森一樹の助監督を経て、2000年に『独立少年合唱団』で劇場映画デビューし、ベルリン国際映画祭最優秀新人監督賞を受賞。『いつか読書する日』(2005)がモントリオール国際映画祭審査員特別賞を受賞した。2013年より日本映画大学の教授も務める。その他の代表作に、『のんちゃんのり弁』(2009)、『怪奇大作戦 ミステリー・ファイル』』2013)、『友だちと歩こう』(2014)、『この街の命に』(2106)などがある。
『東京白菜関K者』
1980年/59分
ある朝起きたら白菜に変身していた男、K。街へ出た彼はさまざまな事件に巻き込まれ、追い回される。カフカを下敷きにしながらも、心理描写や文学性とは無縁にひたすら街を疾走するKをとらえ、新感覚アクション映画に仕立て上げた。
諏訪 敦彦
1960年生まれ。東京造形大学在学中にインディペンデント映画の制作にかかわる。卒業後、テレビドキュメンタリーの演出を経て、1996年に『2/デュオ』を発表し、ロッテルダム国際映画祭最優秀アジア映画賞受賞。その後も、『M/OTHER』(1999)でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞、『不完全なふたり』(2005)でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞。完成された脚本を用いない独特の手法で知られる。2008年から2013年まで東京造形大学学長を務めた。その他の代表作に、『H/story』(2001)、『Paris, je t’aime』(2006)、『ユキとニナ』(2009)など。
『はなされるGANG』
1984年/85分
耳の聞こえないギャング・加村と、文庫本を読む少女・理恵が、これから始まる物語についてまず語り、それから逃走劇と銃撃戦が展開。章立ての字幕が挿入され、撮影された日付が記され、残り時間を知らせるセリフが入る。ゴダールの影響を受けたという本作には、ドラマの虚構性について考察しつづける諏訪監督の本質が詰まっている。
园子温
愛知県豊川市生まれ。17歳で詩人デビュー。 「ジーパンを履いた萩原朔太郎」と称される。映画監督デビュー作『俺は園子温だ!』(1985)と翌年の『男の花道』がPFF(ぴあフィルムフェスティバル)に入選、第4回スカラシップを獲得し『自転車吐息』(1990)を製作する。日本のインディペンデント映画の牽引役となり、国際的な映画祭の常連としても活躍している。その他の監督作に『自殺サークル』(2001)、『紀子の食卓』(2006)、『愛のむきだし』(2008)、『冷たい熱帯魚』(2011)、『希望の国』(2012)、『地獄でなぜ悪い』(2013)、『ラブ&ピース』(2015)、『ひそひそ星』(2016)など多数。
『俺は園子温だ!』
1984年/37分
自分の誕生日までの3週間、暗い室内でカメラに向かって呟きを繰り返す自撮りシーンから、一転、カメラが突然走り出す。22歳の園子温は奇声を発し、自分の髪を剃る。映画という媒体を利用して、自身の存在証明を過激に追求する一方、映画の存在そのものにも鋭く迫る。既存の映画のルールを壊し続けてきた園監督の創作エネルギーがここに凝縮。
『男の花道』
1986/111分
第1部は、東京を舞台に明確な理由もなく主人公は怒り狂いながら男たちから逃げ回る。第2部は、一転、東京で一旗あげたいと思いつつ地方都市で悶々と過ごす主人公が家を出て行くまでを、静謐に描く。家と家族を断ち切れない作者の心の叫びが痛烈に響く。本作が劇場映画デビュー作『自転車吐息』につながり、園監督の「花道」への第一歩となった。
平野勝之
1964年生まれ。静岡県出身。アマチュア時代より8mmを中心とした映像作品を撮り続け、PFF等で高く評価される。プロデビュー作はAV『由美香の発情期』。その後、『水戸拷問』、『ザ・タブー』といった、ひたすらに面白い傑作AVを数多く監督する。1997年に女優・林由美香との北海道自転車旅行を記録した『由美香』が劇場公開され大ヒットする。その後も自転車旅行を題材とした『自転車三部作』を作り、厳冬期の北海道を自ら走って撮影した『白 THE WHITE』をベルリン国際映画祭に出品している。2011年には2005年に突然恋人を失った絶望感から立ち直るまでを記録した『監督失格』を上映した。
『愛の街角2丁目3番地』
1986年/93分
マサヒロとヨーコはふとしたことで喧嘩別れ。マサヒロはオカマになろうとし、ヨーコは乞食の仲間になる。原作は大友克洋の漫画だが、過激な即興的手法により途中から物語要素は放棄され、生身の人間たちによる狂騒がえんえん続く。虚構と現実のはざまのカオスから生まれ出てくる陶酔感が麻薬のように観客を引きこみ、大島渚監督に絶賛された。
塚本晋也
1960年1月1日、東京・渋谷生まれ。14歳で初めて8ミリカメラを手にする。87年『電柱小僧の冒険』でPFFグランプリ受賞。89年『鉄男』で劇場映画デビューと同時に、ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞。主な作品に、『東京フィスト』(1995)、『双生児』(1999)、『六月の蛇』(2002)、『ヴィタール』(2004)、『悪夢探偵』(2006)、『KOTOKO』(2011)、『野火』(2014)など。製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などすべてに関与して作りあげる作品は、国内、海外で数多くの賞を受賞。1997年と2005年にはベネチア映画祭で審査員を務めた。俳優としても活躍し、自作のほか、石井輝男、清水崇、利重剛、三池崇史、大谷健太郎、松尾スズキらの作品にも出演。2002年には毎日映画コンクールで最優秀助演男優賞を受賞している。
『電柱小僧の冒険』
1988年/47分
背中に電柱が生えて、いじめられてきた学生が、ひょんなことから25年後にタイムスリップ、人類を支配しようとする鉄の吸血鬼軍団と戦うことに。アニメーションの手法を駆使したスピーディーな演出が度胆を抜くこの作品でぴあフィルムフェスティバルのグランプリを獲得した塚本監督は、翌年、伝説のカルト映画『鉄男』で世界にその名を知らしめる。
矢口史靖
1967年神奈川県生まれ。1990年8ミリ長編『雨女』がPFFグランプリを受賞。PFFスカラシップを獲得し16ミリ長編『裸足のピクニック』(1993)で劇場監督デビュー。以降、『ひみつの花園』(1997)、『アドレナリンドライブ』(1999)で高い評価を得、2001年には“男子のシンクロ”というユニークな題材で話題を呼んだ『ウォーターボーイズ』が大ヒットを記録。2004年の『スウィングガールズ』は第28回日本アカデミー賞で最優秀脚本賞・最優秀音楽賞・最優秀録音賞・最優秀編集賞・話題賞等の5部門を受賞した。その後も、『ハッピーフライト』(2008)、『ロボジー』(2012)とヒットを飛ばす。芸術性とエンタテインメント性を併せ持つ、文字通り“日本映画界の至宝”。
『雨女』
1990年/72分
降りしきる雨のなか、貧乏暮らしの女2人はスーパーマーケットを襲い、キャベツ畑を荒らし、牛をも殺す。ドキュメンタリー、B級ホラー、前衛映画と、ジャンルを混在させ、暴走する2人とともに映画は疾走していく。本作はぴあフィルムフェスティバルでグランプリを獲得、矢口監督は日本を代表するエンターテイメント映画監督へと突き進む。